箱雑記ブログ

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神保町花月『凛 -RIN-』

千秋楽公演のみ、足を運んできましたが、前述のとおり、私はこのお話にはがつんとやられてしまいました。
ずっと、ピースというか又吉さんが作るお話性の濃い長いコントが大好きで、笑いとして好きというよりも完全に物語として好きでしょうがなかったため、脚本を書かれると聞いて楽しみにしてました。
結果として、コントで感じる物語性が、お芝居と転じることでより濃度が高くなり、そこにより大きな存在感でもって現れる又吉さんなりの味のようなものが、想像以上に私を揺さぶってくれました。幸せです。
以下、ネタバレありの感想になります。ファンダンゴTVのカメラが入っていたようなので、ネタバレしたくない方はご注意を。
ついでに、私がちょっとこの脚本に対して気持ち悪いくらいの思い入れができてしまったため、文章がいつもよりもさらに痛々しいことになっていますので、そこらへんもご注意ください。



田舎の山の中の村の中学校に、転校生がやってくる。転校生は始めは同級生に受け入れられないものの、次第に友達になっていく。けれどその頃から、隣の学校の生徒が行方不明になる事件が起こる。村には100年ごとに5人の子供が化け物に連れ去られるという言い伝えがある。そうした中での、転校生と同級生、4人の男の子と、彼らを取り巻く大小さまざまな事柄のお話。説明下手だなあ、すみません。


見終わってアンケートを書きながら、自分がまったく演者さんについての感想を書いていないことに気付いて驚いたものです。演者さんは良かったんです、ものすごく良かったんですけど、それ以上にとにかく脚本に関して言及したい、こう思った、こう感じたというところがとめどなく出てくる状態でした。
とにかく自分の中の深いところにあるアンテナがいくつも反応して、そのたびに有無を言わさず涙腺が壊れるという体たらくです。
たとえば私が関東の片田舎、本当に山の中出身、狭いコミュニティで育った人間であるがゆえに感じる、田舎の村という舞台に関する「郷愁」であるとか、私がかつての女子中学生であるがゆえの、「男の子同士の友情や関係性に関する憧れ」を突かれたりもしたし、ちょっと時代をさかのぼったような、伝承や伝説という類の言葉に対する不思議な懐かしさもあって、そういうものが総がかりでどっと襲ってくるんです。それだけでたまらなかった。
その上に、「友達になるのは100年も前から決まっていた」なんてことがくっついて、「輪廻」なんてものまでもこっそりと紛れ込ませて。
本当にどうしようもないくらい、いろんなものが私の涙腺とか、頭の中の感情のタガをめためたに壊してくれました。まいった。


たまに言っているような気がしますが、私は行間を読む(深読みする)のが無駄に好きで、そうした余地のあるお話や映像が大好きです。すべてを説明されてしまうと窮屈に感じてしまうし、何かしら想像の羽を広げさせてくれるような、ちょうど良い余白があったりすると、そこに描かれることのない感覚というか感情のようなものを見出して、ぐっと心をつかまれてしまうのです。
又吉さんのこの脚本には、そういう心地よい行間がそこかしこにあって、その上行間を読もうとする私を助けてくれる、どこか切なくて胸が詰まるような雰囲気がありました。お話と、あと多分演出もぴったりだったからだと思うのですが、最初から最後まで何かしらを感じさせる空気がずっとあったような気がする。それが何なのかはよく分からないのですが。分からないというか、私が語彙が少なすぎて上手く言えないだけです。もどかしい。
最後の方、いろんなことが判明しての、最後のシーンで多くを語らない天童がとても好きでした。「もうええやん」とだけ言う天童の胸の内を考えて、語らない理由も考えて、そこでまた感じるいろんな感情が渦巻いて、結局泣けるのです。語らないことが多くを語るっていうのも、すごく好きだなあ。
そういえば、又吉さんが楽屋裏ブログで「核の部分がものすごく暗いものになってしましました。」と言っていましたが、どうやら私はそれも好きだったようです。


お話に筋はありますが、その中で徹底的に描かれているのは、中学生4人が友達であるということ。筋はそれを表現する手段に過ぎないようにさえ思えました。もちろんそんなことないはずなのですが、大事な友達がいること、友達が出来ること、友達に救われること、友達を助けること、友達を失うこと、友達と笑ったり泣いたり、暴れたり叫んだり、そういうすべての時間が見ているこちらは愛おしく思えてしょうがないのです。それは、すべてを見終わった後にさらに大きな波でもって襲ってくるのですが。
中学生4人だけじゃなくて、その村に存在するいろんな人たちについても、少しずつ、でも大事なところを、丁寧に淡々と描いていて、それもまたたまらなかった。先生と神主さんが同級生で友達で、昔は暴れん坊で・・・なんてあたりは、小さいことなんですけどがつんときました。なぜだかはよく分かりませんが、なんとなく、この架空の村とその村に住む人たちがぐんとくっきり色づいて見えた気がするのが良かったのかもしれない。


私はジジイの存在そのものがもう完全に涙のツボでして。長い時間を生きているジジイ。少年達とあまり会話が成立しなかったのは多少ぼけてしまっていたからかな。あるいは別の理由で心が壊れていたのかもしれない。村の子供達や、かつての子供達(先生や神主さん)に、分け隔てなくずっと「早くけえれ」と言ってまわり、そんなちょっと奇妙な存在を村の子供達やかつての子供達はみんな畏怖や時々親しみをこめて見ている。
子供を亡くした過去そのものよりも、それが今現在ジジイをこういう行動にかきたてているという事実がたまらなかった。なので、ジジイの最期のあのシーンはバカみたいに泣けました。泣いた泣いたばっかりですみません。別に泣いたことがどうということではなくて、とにかくいろんなものが刺さりっぱなしでしたと言いたいだけなのですが。とくにジジイのこういうエピソードって、お話の大きな流れの中では必ずしも大事な点ではないのかもしれないのですが、そういうところをじっくり描いて、演出してくれるから、たまらなかったです。先生や神主さんについてもそうですが、ジジイの存在がこうして手加減なしに描かれていたのがやっぱり好きでした。


脚本として好きだなーと思ったのは、中学生の男子がたまにぽろっとこぼす、ちょっと恥ずかしいような、照れくさいような台詞をさらっと展開させていくところ。星を見に行こうというところで、天童が「星も俺らのこと見たがってるやろ」と言うシーンがあるのですが、そういう詩的な台詞をさりげなく使っちゃうあたりとか、本が好きな又吉さんらしいなあ、と。それを中学生の男の子が言うあたりが、またにくいんです。
真島と天童の別れのシーンの、「せっかく友達になったのに、もう離れるのか」みたいな台詞もたまらなかったなあ。これ、全部見終わった今考えると、ダブルミーニングにも思えてなんとも辛い。


中学生の4人にも、それぞれ子供なりの大きな事情を抱えていて、それは大仰なものではない代わりにずっと彼らに付きまとって離れないもので、それを簡単に解決もしないけれど、その事情を前にした彼らのいろんな行動の数々が、どれもこれも素晴らしく純粋でまっすぐで、これまた胸にきます。大仏に対する天童の一番難しいなぞなぞの答えのシーンあたりはこれまた号泣。
一番明るくていい加減でヘタレな竜次が、ぽかんと居なくなるときのとんでもない喪失感とか、耕太がどんどん焦っていく様とか、真島の終始落ち着いたような、達観したような様子とか。いろんなものがいろんな事実を語っていて、でも詳しく誰かが説明したりはしないんです。たまらないなあ。


やっぱり、一貫した空気があった気がします。又吉さんが持っていて表現したいと思っていた空気なのかもしれませんが、その空気がとにかく、とにかく好きでした。演出が、また見事に静かでじんわりとした味を出していて、大平さんてひょっとしてすごい人かも。
そうやって考えると、その空気や世界を破綻させることなく演じてみせた演者の皆様について、私がアンケートで言及しなかったのってものすごくもったいなかったんじゃないか?と今更思ったりするわけです。
又吉さんの独特のあの感じが、天童にみごとにはまっていたのはさすがだと思いました。脚本に理解のある人が演じるって、当たり前だけどいいです。
キーパーソンの綾部さんは特に、『クリープ』を見たときはお芝居のちょっとした不自然さがなんとなく気になっていたのですが、このお芝居での自然な立ち振る舞いはどういうことか!そんなところまで使い分けることが出来るのかな。あるいは相方さんの脚本だからやりやすかったとかなのかな。
ピクニックにしろ金田さんにしろ小三郎さんにしろ、見事な個性でそれぞれの魅力をしっかり主張していて、素敵だったなあ。神主の中村さんの、「神主なのに乱暴で口も悪い」みたいなキャラクターもずごくずるい。担任の先川さんとのやりとりが、前にも書いたとおり大好きでした。川島さんは、すずらん大学と同じ人とは思えない役を不自然でなく演じてて、実は凄い人かも、と思ったし、何より江崎さん・・・私はこの江崎さんの役がとにかく胸に刺さりました。『パパはヒットマン』でも、『ロックオン』でも、江崎さんは嫌味なく舞台で存在感を主張していて、いいなあと改めて思いました。


行間を読むのとは別に、お話や設定で深読みしたくなるところも多々あって、見終わったあとも引きずる公演です。たとえば天童は普通の中学生ってことでいいのかな、とか。魚が簡単にとれる頭陀袋(ずだぶくろって漢字変換するとこういう字なんですね!)とか、山の神様への感謝の言葉とか。最初、この子は何者なんだろうと思わされるんですが、後半ちゃんとご両親もいて事情があって引っ越してきた、と分かるんですね。けれど、最後にひとりだけ生還したこととかは、何かしら普通の少年ではないところがあったのかもしれないな、と。それがイコール、「山で手を引いてくれた真島に似た山伏」の存在に結びつくのかな、とも思える気もしないでもないような・・・。多分深読みしすぎなんだとは思うんですけど、どうしても(笑)
真島は真島で、天童を詰め込んだ車で事故を起こさせたのは、偶然なのか、違うのか、とか。一度しか見てなくて、最後はめまぐるしくて細かいところを覚えられていないのがもどかしいのですが、あの車に竜次や大仏がいたということなのかはどこかで語られてましたか?貧弱な記憶力が憎い。
多分真島があの後どうなったというのは何も語られていないのですが、そこがまた・・・色々と想像させてくれるんですよね。
これだけ書いておいて今更ですけれども、このへんの、せっかくふんわりと濁したままになっているところを、言葉にしちゃうのはすごく無粋だなーと思うし、きっとこうだ!というのを決めてしまうのが非常に惜しいので、しばらくはああだこうだと頭の中でこねくり回していようと思います。


見終わって、友人ともども話していたのですが、戯曲もしくは小説が読みたいな、と。文字でこの世界を味わいたい、と思ったのは、多分これが私が最近よく触れるタイプの小説に、とても近いつくりをしているからではないかと。
ほんのちょっと現実から乖離したような世界観と、小さな事件大きな事情、いろんな人たちの持つ生活や生き方、その中で描かれる心と心のつながりは、どこかいしいしんじを彷彿とさせるし、井坂幸太郎も髣髴とさせてくれた気がします。佐藤亜紀っぽいテイストもあるようなないような。私がもっと読書家なら、他にもいろんな作家さんのお話を感じたかもしれない。『凛 -Rin-』が好きでたまらないという人が、見ていて頭に浮かんだ本があればぜひとも教えていただきたいくらいです。いっそ又吉さんに、このお話が好きな私にこの一冊!とかやっていただきたい。誰か聞いてきてはくれませんか(笑)
等身大の日常と、そこに横切る化け物のような大きく怖い力、日々が少しずつそれに関わっていく様とか。なんとも小説的。


そんなところでやめておきます。まだ何か言い足りない気もするけれど(笑)いつにも増してまとまりに欠けるので無理はしないでおこう。
こういうお話を色々と感想つけようとするたびに、無粋だなー私、としみじみ思うのですが、良かったと思ったものについて語らずにいられない厄介な癖はどうにもとまりません・・・。
ファンダンゴTVでぜひやってほしいなあ。難しいという気もするんですが、放送するためにそこらへんぼかしてるんだよね?ということで、放送されると信じることにします。
友人の話によると、このお話、以前のピース単独でやっていたコント?をお芝居用に焼き直したものだと。これを聞いて、ああやっぱり私はピース単独には何が何でも行かなくてはいけなかった!と今更ながら後悔したのでした。ピースのライブに行けばこんなコントが見られるのかと思うと、改めてピースってすごい、又吉さんてすごい、と思わずにいられませんでした。
そういえば、これも友人が話してましたけれど、前回の『頭蓋骨を抱きしめて』は、ストーリーも演出も単純なところを、演者さんの演技にぐいぐい持っていかれた公演で、今回のこれは、脚本の力に打ちのめされた公演だったので、両極端なものを見たね、と。なるほど確かに。


ここまで来て引っかかるところじゃないかもしれませんけれど、『凛』てどういう意図によるタイトルなんだろう?不思議とお話と違和感がない気がしますが。
もうひとつ、エンドロールで使われていたTHE BOOMの「からたち野道」が良すぎて良すぎてどうしようもなく泣けます。