箱雑記ブログ

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アヒルと鴨のコインロッカー

恵比寿ガーデンシネマの初日レイトショーで見てきました。公式サイトはこちら
以下ネタバレ感想。



私は原作が好きで、直前に読み直したりしていたので、実際に原作もなにもなしに見た人がどの程度の情報を補完できる内容なのかはまったく分かりません。ただ、原作が好きな人間としては、ことごとく原作ファンの祈りを裏切り続ける原作有りの映画としては、破格の出来ではないかと思いました。足りないところ、いっぱいあるけど、それでもこれは、相当忠実に、原作に愛を持って作られていると思いました。なんたって日々素晴らしき原作が映画化によって容赦なく蹂躙されているのを目の当たりにしているので、そういう意味ではよかったな、と。


私が一点、どうしても納得いかなかったのが、河崎の死に方。
映画では河崎はエイズによって死にます。目的を達成しようとした矢先にやむを得ず死にます。これは、ちょっと、いやかなり、納得いかない。河崎はやむを得ず死んではならないと思う。
原作の河崎の死因は自殺です。河崎は、エイズになって死んでいくのではなく、自分がエイズ(正確には後天性免疫不全症候群)になったことが分かり、自分がその自覚もなく不特定多数の女性と性交渉を持ったことで自殺するわけです。これはもう、エイズで死んでいくのとは全く意味合いが違う。
なぜなら、河崎が琴美とドルジの力になり、琴美があんなことになった後でドルジと復讐の機会を待っていたのは、琴美が性交渉を持たずに別れた相手であり、彼の手が及ばなかった特別な存在だったからこそ、だと私は思ってます。だからこそ、琴美の恋人であったドルジも、彼にとっては特別な存在になった、のかな、と。
この一連の流れは河崎の彼らとの関わり方の根底に横たわるはずのもので、その根っこが違ってしまうと、河崎の存在そのものがちょっと色の違うものになる気がします。河崎には不特定多数の人間を死に追いやった罪の意識と恐怖があった、からこそ琴美とドルジとああして関わっていったんじゃないの、と。
我ながら理屈っぽいと思いますが、こればっかりはなあ。猫やクロシバの存在を、時間の都合上エピソードごと抜かさなくてはならないのはよく分かるのですが、ここは出来れば切り捨てて欲しくなかったなあ。原作は原作、映画は映画、と言われてしまえばそれまでなのですが、英語の台詞の訳の字幕を、原作の台詞どおりにつけてくれるほど、愛を持って作られた映画だっただけに、気になってしまいました。


それでも、巷に溢れる「原作とは別物の魅力的な作品」とうたって原作の素晴らしさを根こそぎ奪ってしまうような映画に比べたら、もう歴然としているくらい、ちゃんと作ってもらえたお話だったと思います。逆に言うと、それくらい世の中原作をめためたにする映画がいっぱいだよ、と思ってしまうのは心が狭いのかなあ。
そもそも、原作の小説なり漫画なりが映画化するのは、その原作が広く好評を得てヒットしたからだと思うのですが(例外も多々あるが)、広く好評を得た作品のストーリーをなぜわざわざ捻じ曲げて作品化するのだろうか、と毎度疑問でしょうがないのです。この設定で、このお話で、このキャラクターだからこそ、みんなに愛されるお話になったのに、それを映画の都合でゆがめたって、そりゃあ原作と同じくらい面白い作品になることは稀なはずです。
小説にしろ漫画にしろ、お話をいちから作り上げることをしているのだから、映画も映画でお話を作ったらいいのにな。


前に姉とも話して、友達とも話したことですが、映画は作り上げるまでにお金と人の数がかかりすぎて、なかなか製作者の思惑通りにいかないんだよね、というのはきっと作る側も見る側もずっと抱えなくちゃいけないジレンマなんだろうなあ。小説や漫画という、人の手がかからず価格も抑えることが出来るジャンルと比べて、映画はあまりにも商業的要素が多すぎるから、しょうがないのかもしれないけど。


話がそれまくった・・・。ともあれ、この映画はとても素敵な映画でした。瑛太はもちろんなのですが、濱田岳さんが素晴らしく良かったなあ。椎名のいろんなリアクションや戸惑いの仕草がずっと頭に残ってます。声も、その気になって聴いてるせいか、ボブディランに似てる気がして、うわーってなった。