箱雑記ブログ

色々まとめています

3/19〜3/22の色々。

ここ最近のライブとそれに付随するものについて色々。体力が持たなくてその都度のメモがまったく出来なかったので、そういう時はやはりブログの出番かと。

3月19日、立春囲碁将棋大会へ。
春休みシフトの弊社ライブに対して、見たいものを全部追いかけることは勿論難しい。年間通して一番の繁忙期で、ましてや現在大トラブル対応中なので、昼間どころか19時開演ライブも難しい。それでも時間休を貰ってどうにかやりくりして見に行ったのは、それが立春囲碁将棋大会だから。
マヂカルラブリーシソンヌニューヨークTHE GEESEという何故か固定されたメンバーで毎回行われる囲碁将棋大会、今回は「シソンヌがとうとう逃げました」と。チャンピオンが忙しいって本当に素敵なことだ。そして改めて見ても面子が絶妙に面白すぎて、ましてやこれに囲碁将棋のネタ3本見られる(しかも新ネタの可能性が高い)なんて、どれほど垂涎かという話。今回シソンヌのネタの変わりにマヂカルラブリー野田さんがピンネタを披露すると最初に説明され、最高かと。
あくまで私が見ている範囲での話だけれど、ネタが死ぬほど面白い人は勿論凄いし、ネタを死ぬほど作る人も凄いけれど、ネタを死ぬほど作るしそのネタが死ぬほど面白いということにかけては私が知る限りは囲碁将棋がぶっちぎりトップを独走している。あれだけ定期的にネタを作るのにそのネタの打率が高すぎる。面白いことを生み出し続けることが出来る、しかもここ1、2年とかじゃなく、ずーっとそれをやっている、私は彼らが3年目くらいからしか知らないけれど、おそらく1年目からずーっとそれをやっている。凄いなんてもんじゃない。才能という単語はむやみに使いにくい単語だと思いつつあえて使うけれど、この事象を実現するためにどれほどの種類の才能が必要か。ネタを作る才能、ネタを作るモチベーションが落ちない才能、面白いものを見つける才能、面白いもので面白いネタを作る才能、それをやり続ける才能、その品質を保つ才能、まだあるかもしれない。才能という漢字がゲシュタルト崩壊
もう引退してしまったが、昔サッカーの藤田俊哉選手が大好きだった。当時読んだ藤田選手のインタビューの中で、今でも忘れられないものがある。文脈はうろ覚えだけれど、「自分より才能のある選手は山ほどいた、自分がその選手達よりも活躍できたり代表に選ばれたりした理由があるとすれば、人より少しサッカーが好きだったから」というような内容だったと記憶している。好きだからつらい練習も楽しめる、好きだから遊びたい気持ちも我慢できる、という話。
例えばトップリード新妻さんのお話を聞いてると、まさにこれを思い出す。好きだから作りたいし好きだから辛くない、辛い苦しいを凌駕する好きという気持ちこそ最強の才能だと思う。だって好きなら何でもできるから。逆に言うと、辛くて苦しくてサボりたくなる気持ちを一番軽やかにスルーできるのは、好きという欲なのではないかと。
囲碁将棋もこれに当てはまる人たちなのかな、と勝手に想像する。好き云々は置いておいて、物凄く楽しそうだから。苦労してないということではなくて、苦労も楽しめるくらいのものが彼らのつくる作業の中にあるのかな、と。
それでいくと本当の天才は好きでもなんでもなく面白いものが作れる人ということになるのだろうけど、そんなとんでもない天才は私には現実味がなくて、好きという才能の方が理屈として納得できるので現実味がある、と思う。
囲碁将棋の新ネタ3本、今回もみんな面白かった。この先どこかで見られるのが楽しみでならない。
この日はニューヨークの嫌いなノリの漫才が素晴らしかった。以前New York Jam Sessionでおろしていたちょっととんでもない観念のネタ。見たときに「ニューヨークはとうとうここまで来たか…」と思ったことを思い出す。

夜に見た漫才ライブLord to Finalistで、ダイタクの合体のネタがしばらく見ないうちに4分尺にすっきり収まる形になってておお、となる。改めて見ても間違いなくいいネタ。
あまりキャラクターを知らない人達を平場で見て新鮮な気持ちになる。テゴネハンバーグ松村さんの得体の知れない謎っぷりはちょっと興味をそそられる。

3月20日、定時で帰らせてもらえたので急遽彩Jrライブへ行く。
エマが見たくて行ったら、見たことのない昔話の漫才をやっていた。これがもう面白くて、ループしてループして何気なく伏線回収して終わるという美しさ。品のある伏線回収って実はあまり見かけないので惚れ惚れした。美しいけれどエマが元々持ってるどこに向かっているのか分からない野放図なわくわくはそのままだったので、いいネタだなあ!と。
ネタ組トリで出てきたダンビラムーチョ高校野球みたいな居酒屋のネタが、初めて見るネタでとんでもない面白さで笑いすぎた。客席はあまり盛り上がっていなかった気がするけれど、そんなことはどうでもいいくらい面白かった。帰りの道すがらずっとネタに出てきたカクテルの名前を友人と言い合っていた。どなたか早急に囲碁将棋とダンビラムーチョが1時間野球ネタだけやるライブを企画してくれませんか。そこにDH億を追加していただいてもいい。
ダンビラムーチョは野球部あるあるを動画配信していて、これがどれも面白いのでためしにひとつオススメしてみる。

3月21日の昼、POISON吉田が5人と漫才へ。
今回は若手との漫才。5本の漫才が全部面白かった。しかもそれぞれの色が見事に出る面白さだった。ましてや3本目の相席スタートケイさんは女性のボケなのに関係なく面白かった。5本とも吉田さんがつくっていることを考えて、その凄味にちょっと気が遠くなる。
ケイさんとの漫才を例に取ると、たとえば本家相席スタートの漫才はケイさんという女性の大いなる理屈に裏打ちされた哲学を笑いとして提供しているものが多くて、それはやはりケイさんという人間の面白さとそれを生かす脚本とそれを分かりやすく伝える山添さんという対の存在があるからあれほど面白いのだと思う。
吉田さんが作ったケイさんとの漫才は、ただの女性のボケ、に留まらない、ケイさんらしい理屈の多い主張のボケだった。きちんとケイさんらしさがありながら、相対するのが山添さんではなく吉田さんであるがために、相席スタートの漫才とは雰囲気が違った形になっていて、それが抜群に面白くて、見ながら「うわ、凄い」となった。吉田さんはここまで出来るのか、と。
同じことは田畑藤本の藤本さんとの漫才にも言えて、東大・高学歴というキーワードがいつもの田畑藤本とは違った色合いで使われていたのが本当に面白かった。高卒だという吉田さんとの対比がまた新鮮で、なんというか、漫才の大いなる自由度を体感する気分。どうにでもなれる、どこへでもいける、みたいな。
鬼越トマホーク坂井さんとの漫才は、そもそもあの坂井さん相手に時事ネタを持ってくるという発想がやられた!という気分。ダイタク拓さんとの漫才は双子という前提を二重人格だのソーセージだのに乗っけてくる様もさることながら、スタイルがちょっとおかしくてわくわくする仕上がりだった。ボーイフレンド宮川さんとの漫才は、根っこからだいぶおばかで展開もすごくおばかで異様に楽しかった。全部、今回のパートナーとなる芸人さんの力量があってこその仕上がりだし、それとネタがしっかり相乗効果を生み出す様に惚れ惚れした。
5人と漫才を見るたびに同じことを言っている気がするけれど、凄いということは勿論のこと、あまり見慣れない芸人さんの新たな魅力に気づかされることもあって、今回も本当に面白かった。

無限大ホールへ移動。ダイキリ単独ライブ。
初単独らしい勢いのある面白さと新たな発見にあふれたとても良い単独だった、1時間気持ちよく笑った。ダイキリはやはり南部さんのあの強烈な印象が一番最初に残るけれど、単独ライブを見て感じたのは、相方の宮下さんのおかしさだった。ひとつ、宮下無双状態の漫才があって、ひっくり返るくらい笑った。宮下さんの根の明るさとか、どうやら少しばかりどうかしてるっぽいぞ、みたいなものの一端に触れられた気がする。これだから単独ライブは良い。

合間にご飯をたべて軽く一杯やってから、再び無限大ホールへ。ゆにばーす単独ライブ。
こちらはもう、やりたいことだけをぱんぱんに詰め込んだ、いっそ潔いくらいの単独ライブだった。漫才の面白さも勿論だけれど、最後の耳をすませばのパロディ長編コントが本当にやりたい放題、しかも川瀬さんならではと思えるお笑い哲学が盛り込まれた楽しさで。それにしてもゆにばーすの、客席に関係性やキャラクターを一発で伝えることが出来るスピード感は本当に得がたい。コンビ歴の短さに反して大きな舞台を山ほど踏んでいる場数の多さもあるんだろうな、頼もしい。

3月22日の昼、ライスコントライブ『money』へ。
今年ゲストに惹かれて2度見たライスドキャストでのライスの新ネタがそれはもう面白くて、ライスの本気って恐ろしいな!となっていた矢先の4ヶ月連続ライブの初回、まさにライスドキャストでも見たライスの1本目の話が入ってこないある特徴の男のコントがやっぱり面白かった。犬の心がKOC決勝進出を果たした昨年の、何を見ても面白く仕上がっている様に似た空気を最近のライスに感じるので、今年はちょっと期待してしまうな。
冒頭でMCの我らが竹内健人様が「あのライスがついに動きます」というようなことを言っていて、それくらい以前はあまり大きな活動を頻繁にはやっていなかったし、それだけにライスって動くとまんをじして感がある。それはつまり、山が動くのを待ち望んでいる人が多くいるということで、イコールライスの作るものへの期待の高さとか信頼感のあらわれでしかないんだろう。ライスのことが心底羨ましいと思うのはこういうときで、ライスが動くよ!というたったひとつのことであらゆる場面からお客さんが終結することが本当に凄い。これほどの信頼感を長年見る側に持たせられる存在を他にあまり思いつかない。ライスは面白いという絶大な信頼、ひたすら羨ましい。
クロスバー直撃のコントを久々に見たんだけれど、凄く面白くて大笑いした。たまらないバカさ加減。あれだけの長めの尺でネタを見たのが多分初めてで、ちょっとたまらなかった。
トップリードが泥棒に入られた男とその友人のコントをやっていて、私はこのコントが大好きなのだけど、というかトップリードのコントはどれも大好きなのだけれど、この日のトップリードは本当に素晴らしかった。前半に場面を形づくる時間をたっぷりと使って、その間は余計な笑いはほとんど生まれないのに、緊張感とこの先の展開へのわくわくとどきどきだけは途切れず繋がっているのが凄い。後半大きく場面が動く段階での和賀さんのびりびりするような空気の作り方とそれを受ける新妻さんの表情やら声色やらの絶妙さが凄い。あのネタは和賀さんがちょっと計り知れないおかしな人を演じているのだけれど、ああいう非現実的なキャラクターも和賀さんがやると何の疑問もなくしっくりくる。ああいうおかしな人が存在している、と納得ができる。オチが素晴らしくて大好き。トップリードの素晴らしいところなんていくつもあるけれど、そのうちのひとつに「大きく広げた風呂敷をきちんとたたんで終われる」点も挙げたい。ああいうしっかりと作りこんでくるコントでそこに違和感なく最後まで見られるって、本当に凄いことだ。
ラバーガールも久しぶりに見たアリのレースのコントが楽しすぎた。どうあってもどうやってもあのいい意味で肩に力の入らないお二人のスタンス、賞レースでも変わらないのだからただごとじゃないと改めて。大水さんの独特の奇妙さも勿論だし、飛永さんの佇まいがとにかくたまらない。最近は分かりやすく熱量のこもったものに惹かれる傾向があるけれど、それだけにラバーガールのどう転がってもブレないゆるやかさに凄味を感じる。あれで、あれほどのゆるやかさで、簡単なことみたいに軽やかに爆笑をかっさらっていく。絶対に誰にでも出来ることじゃない。なんてかっこいいんだ。
平場での飛永さんがとにかく素晴らしかったことにも触れたい。ライスというコンビ名なんだからお米に絡めた挨拶とかききたいよ、という何気ない触れ込みに端を発した、お米縛りトークの絶え間なく湧き上がるアイデアの素晴らしさ。新妻さんもすごかったけれど、飛永さんの数とクオリティが凄まじかった。ずっと面白くて面白くて、飛永さんの頭の中どうなってるの!となった。

3月22日の夜、ルミネのニューヨーク単独ライブへ。
これさえなかったらこの日は大阪でコマンダンテとポイズンを見ていたはずだった、けれどもうこれだけはどうしても外せなかった。今東京吉本の若手で問答無用に見たいし見せたい若手はダントツでニューヨーク。
1時間半で漫才4本コント4本、全部抜群に面白かった。使い分けるのだから当たり前だろうけど、漫才とコントで違ったアプローチがあって、それが全部面白いんだから恐ろしい。全編にちりばめれた大小さまざまな偏見と悪意の数々が本当に絶妙だし笑えるラインを割らないというバランス感覚に惚れ惚れする。バランス感覚なのか、単純にニューヨークの二人が持っている「何やってもなんか許されちゃう」という特別な力なのか、どちらもなのかは分からないけれど、結局凄いことに変わりはなく。
以前無限大の単独で見た『モリワキ』のコント以来に見るがっちがちのキャラコント、のように見えた女上司のコントが見てて血管千切れそうになるくらいの面白さ。嶋佐さんて、嶋佐さんて、どんだけ面白いの。嶋佐さんにもある、絶対いないよあんな人!というキャラクターに真実味を持たせられる説得力。絶対いないよ、が、なんかいそう、になる凄味。
コントは勿論、私はニューヨークの漫才がとにかく好きで、なぜなら綺麗さや上手さを全部ぶん投げてとんでもない力技でどーんと笑わせてくれるから。ライブ直後は巨大な斧を振り下ろすようなボケと書いた気がするけれど、今考えると一番しっくりくるのは鉄球だ。ビル解体とか浅間山荘で思い出されるあの特大の鉄球。持ち上げて動かすのも遠心力で揺らして勢いをつけるのも特大で重たいからとにかく時間がかかる、だから短い時間の中だと多分2発か3発しか打てない、でも特大の鉄球だから一発打つだけで客席の我々はぶっ潰される。4分5分の間にあの鉄球でどーんどーんどーんと3発も殴られたら全身粉々、ひとたまりもない。そういう漫才。
だいたい、漫才での屋敷さんのツッコミに使われるのは最もシンプルでスタンダードでベーシックな「なんでやねん」だ。今のご時勢多種多様で華やかなツッコミがあふれる中、普通に使われたらおそらくなかなか響きにくいであろう「なんでやねん」が、ニューヨークの漫才ではとんでもない爆笑と共感を揺り起こす。つまりそれくらいボケが超弩級に強くて重くて訳が分からないという面白さを持っていることの証明だし、そういうときの嶋佐さんのボケは本当に「なんでやねん」以外では説明が付かない。ひょっとしたらニューヨークは「なんでやねん」の可能性に挑戦してるのでは、と思うくらい。最もシンプルでスタンダードでベーシックな「なんでやねん」のひとことが、最も効果的に最も爆笑を呼び起こすボケを探して提示してくれようとしているのでは。なんてことを思うくらい、とにかくボケが強くて強くて最高なので、ぜひともこのまま綺麗にも上手くもならずに超弩級のボケと超弩級の「なんでやねん」を見せ続けてほしい。という見る側の贅沢なわがまま。
ルミネの客席満員、見学も多数、という様にこちらも信頼という言葉を思い出す。7月にもう次の単独が決まっているとか、本当にとんでもない。

他にも見たライブはあったけれど力尽きたのでひとまず送信。