箱雑記ブログ

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神保町花月『なんとなく地獄』

とっても久しぶりの神保町感想です。びっくりするくらい書いてませんでした。書いてない公演で大好きなものもいっぱいあるんですけど、何しろ感想を形にする気力が伴わず。この公演の感想を書く気になったのは、なんとなく書けそうなタイミングかなーと思ったのと、単にお話が好みだったからというだけで、簡単に言うとスーツ祭り万歳、という気持ちです。多分。
以下、自分補正や穴埋めをしているので相変わらず気持ち悪い感じの感想です。おそらくお話の意図からはちょっとズレてる感想で、その上やたらと長いです、ごめんなさい。




登場人物、というか人物じゃないんですけど、アリと、アリジゴク。「僕たちはアリだ」から始まって、アリがアリジゴクに食われそうになって、命乞いをしたら「お話を作って俺を喜ばせろ」と言われる、というもの。生き延びるためにアリたちはお話を作る中で、サトウというアリと、アリジゴクを中心としてお話が進んでいくというもの。
捕食者であるアリジゴクと被捕食者であるアリという絶対の関係性があって、さらにアリたちの中にも明確なヒエラルキーが存在していて、しかもそのヒエラルキーの成り立ちはとても特殊。アリジゴクから生き延びるためには面白いお話が絶対に必要なのであって、面白いお話を持っている、もしくは作ることが出来るアリこそが一番偉いということになる。
そういう舞台設定の特殊さと、それ故に発生する歪んだ事象の数々がとってもシビアで面白かったです。その上で、サトウとアリジゴクというストーリーの大きな柱があって、そこにまたいろんなものが絡んできて、見所満載。
見る人によって注目してしまうポイントが結構ばらけそうだなーという印象でした。それくらいいろんな要素が転がってた気がします。お友達と感想を言い合っても、結構それぞれで感じるところが別々になってて、面白いなあと。


アリとアリジゴクという設定での芝居ということで、最初に見たときには何か寓話的なもので、比喩となっているものがあるのかなあと思っていたのですが、話が進むごとにそういう感じでもなさそうだな、と。要するにアリジゴクとサトウの間に生まれるつながりが大事なところなのかな、と感じてました。捕食者と被捕食者が、最終的に対等になる、同じものを求める、という流れが、なかなかドラマチックで好きでした。


あくまで個人的で勝手な視点というか感想なのですが、私のサトウに対する一番強い印象は「振り切れた天才」みたいなものです。サトウがお話を語る天才であるということが全てのはじまりであるのかなあ、と初見のときに強烈に思ったが故の印象だと思います。
本来他のアリたちのほとんどが生き延びるためのサバイバルの手段としてお話を語っている中で、サトウは割りと早い段階で本来の目的がすり替わっていくのが面白い。生き延びるため、ではなくて、アリジゴクの人生を生きてみたいという欲求の方が強くなっていく印象があって、そうすることでアリジゴクを救いたい、というところまで行ききってしまう。本当なら命がかかっている作業であるはずが、サトウには途中から自分が生きるとか殺されるとかそういう思考が見当たらなくなるのを見て、お話を語るということに命以上のものを捧げることができる、そうせずにいられない、そういう天才である、という風に見えまして。このへんは多分私がそういうジャンルのものに弱いから、そっちに偏った印象を抱いてしまったというのがあるのですが。
アリの中ではもう一人、生き延びる手段ではなくお話を作っているのがトガシだったと思うんですが、トガシの場合はアリジゴクの巣穴という「楽して生きられる」場所で絶対王者として君臨するための手段であるのに対して、サトウのお話を語ることに対する欲求はもっとシンプルで直接的で、雑念がないような気がしました。それがすごく天才ぽいなあ、と。命の危険よりも、お話でもってアリジゴクを救うことを無意識の領域で選択しちゃってるみたいな感じが、ただの天才というよりも、振り切れちゃってる天才だな、と。なんだろうな、曽田 正人が描く天才のイメージに近いかなあ。すごく危うい印象がある。


サトウとトガシに対して使われる天才という単語が印象的で、そう思って見てみるとそういう天才論みたいなものをくすぐられるお話だったので、ついこんな狭いポイントをほじくり返してしまったのですが。本当に極端な感想ですみません。
例えばサトウとトガシの天才としてのあり方も微妙に違って、私はサトウの天才ぶりって役者さんの天才みたいだなあと思ってて、誰のどんな話でもサトウはその人になりきって語ることが出来るがために、お話がどんなものでも面白く魅力的に語ることができる。対してトガシの天才ぶりというのはお話そのものを作りこんで魅力的に仕上げることができる、脚本の天才みたいな。そんなイメージでした。トガシの作ったお話は誰が語っても面白い。どんなお話でもサトウが語れば面白い。そういう違い。
その上で、上に書いたような、手段としてお話を使うトガシと、理性や感情を超えて本能のような感覚でお話をアリジゴクに聞かせたがるサトウとの、あり方の対比がすごく面白くて、色々深読みしてしまいました。


そういう意味でも、そうじゃなくてもですけど、とにかくトガシというキャラクターは本当に魅力的で、田所さんが演じるトガシの中には色んな闇を垣間見られてぞくぞくしました。横暴で冷酷なのにどこか繊細で神経質な印象も受ける。田所さんの作りこみ方半端ないなあ。
トガシにとっては、お話を作れる者が力を持つというアリジゴク支配の世界は、こんなに都合のいいものはないんですよね。圧倒的に強者であり続けられるわけで。アリジゴクという絶対の捕食者がいるおかげで、被捕食者であるはずのトガシも君臨できる。この歪な共存関係もすごく興味深いです。もしアリジゴクがウスバカゲロウになった時、トガシはどうするつもりだったのかなあ。とても気になる。
千秋楽を見たときに、最初の方でサトウがトガシに「ここは長いの?」「落ち着いて見えるから」って言ったときに、トガシが「そう見えるんだ」って意味深に言うくだりで、そうかなるほど!と納得したんでした。つくづく細かいところが面白い。
トガシのバックグラウンドをあれこれ考えたくなるのは、それくらい田所さんのお芝居が密で情報量をぎゅっと詰め込んだものだったからかなあと思います。表情ひとつ、しぐさひとつにトガシの業や闇を感じられるというのがちょっとすごい。ハマリ役だったというのはもちろんなのですが、舞台上で隙間なくトガシという存在感を演出できるというのは田所さんの凄みなのかもな、と思ったりしました。


ここまでが長い前提みたいになっちゃうんですが、サトウがそういう規格外の天才であり、最初から「アリジゴクだって生きるために僕らを食べてるんだ」と言えてしまうような存在で、巣穴の中での異分子であるが故に、初手からもうアリジゴクはサトウが今までのアリとはモノが違うと感じてしまうのかな、と。明らかに違う、惹かれるものがある、だからこそサトウの話を聞きたがる。で、サトウはそれを裏切らないものを提供できる。もしかしたら過去にもアリジゴクの人生を語ろうと思いついたアリがいたのかもしれないけれど、アマノが「挑発的」と言っていたように、一歩間違えたら殺されるかもしれない、そう考えたら普通は出来ないよな、と。だってあくまでお話は生き延びるための手段のはずなので。でもそういう雑念をサトウはひょいと超えてしまう。命を守るよりもお話を語る、アリジゴクの人生になりきることを選ぶ。その選択は冷静に考えるとだいぶぶっ飛んでる気がします。終盤の早く逃げ出したいアマノとの温度差も無理も無いよなあって思える。命の危険よりもお話を作る欲求がサトウの中で上回っていたように見えて、だからこそただの天才というよりは振り切れてしまった天才なのかな、と思ったのでした。


で、それが、最初はサトウはお話を語りたい、アリジゴクの人生になりきりたいという欲求ありきだったのが、アリジゴクを知っていくことで、明らかに情のようなものが生まれていくのがこれまた面白いなあと。俺が俺の人生を語られたいと思うのか、とアリジゴクに問われて、「あなたのことを考えてませんでした」ってサトウは言って謝るんですよね。それってつまりアリジゴクの人生を語ることは、それまではサトウにとってすごく利己的な欲求だったのかなあ、と思えるんです。語りたいから語る、というごくごくシンプルな欲求。
でも、アリジゴクが自分はもっとややこしいよ、と言って、静かにサトウに己の話をする、それを聞いて、サトウのスタンスがまた微妙に変わったのかなあと。で、後半は自分の語りたい欲求と同時に、アリジゴクという他人と向き合って、他人を自分が救えるだろうか、どうにかしてあげたい、って欲求も出てくる。アリジゴクに興味というか情があるから、お話にも魂がこもる。アリジゴクにとっては、もしかしたらそれがものすごく刺激的なものだったのかな、とか。
結局、絶命の間際までアリジゴクはサトウのお話の続きを求め続けていて、その姿がなかなか鮮烈で、これまたすごく印象的でした。サトウがお話を語ることに対して危ういまでに雑念がないのと同時に、アリジゴクもお話の続きを求める気持ちに雑念がないように見えました。命の危険よりもお話の続きの方が大事、という、その在り方が、サトウの在り方とリンクする、ように見えたのはただの私の思い込みですが、そういう濃厚なつながりを最後の最後で感じられたのが、いいなあすごいなあ、と。
結局のところ、ややこしい設定や複雑な関係性の上に乗っかっていたのって、この二人のそういう無駄なものがそぎ落とされたまっすぐな心のやり取りだったような気がしてしょうがないです。
サトウが最後アリジゴクに語りかけるところが、対等な口調になってるのがものすごく好きでした。捕食者と被捕食者だったはずの両者が、同じ目的(=お話を語る、聞く)のための同志のようにも見える。面白いなあ!


アリジゴクをについては、私はものすごく年老いたおじいさんみたいだなあと思って見てました。達観しているというよりは諦観している印象だったからかもしれないです。外の世界にも行けず、目も見えないアリジゴクの欲求は、お芝居の中では食欲とお話を聞きたいということだけで、とてつもなくシンプル。いろんな期待や希望が視力と共にごっそりそぎ落とされて、残っているのはその二つだけ、ってことなのかなあ、と。 子供の残酷さというより老人の残酷さと純粋さに見えたのは、吉田さんの静かな語り口とか、ほとんど変わらない表情とか、ゆっくりと穏やかにも思える動作の数々のせいかもしれないです。
吉田さん、よかったなあ。今までの神保町公演と比べて、台詞がきちんとご本人から生まれて出てきてるなあ、という聞こえ方がして、とても好きでした。


最後、アリジゴクにアマノを目の前で殺されてしまうサトウの心境ってものすごく難しいよなあと思います。友人は殺される、でもアリジゴクを哀れにも思うし情もある。その状況であの台詞をアリジゴクに送るサトウの心境やいかに。
アマノが死んでしまったことはサトウにとってはつらい事実なのだろうけど、アマノにとどめを刺したのがアリジゴクだったことで、何かが吹っ切れてしまったようにも見えたかな。千秋楽、アリジゴクに「そんなに続きが聞きたいのか」と語りかけるサトウの口調は本当に強く、悲しみの感情よりももっと別のものに見えました。全部どうでもよくなっちゃったというか、お話を与えることに自分を捧げきってしまったような感じ。だから、千秋楽のあのシーンの阿部さんはなんだか妙にかっこよかったのです。
阿部さんは、最初からずっと朴訥として穏やかで、殺伐としたアリジゴクの巣穴の中で、他のキャラとあまりにも空気感が違うのが面白かったです。阿部さんの存在感て、そういうちょっと現実離れしたファンタジー臭のあるキャラにすごくはまるんだなあ。


本当にきりが無いな。他のキャラもそれぞれ生き生きとしていて、捨てるところがない綿密さも好きです。脚本そのものは、たまに唐突かなーと思う部分もちらほらあったのですが、複数回見てしまったので自分の脳内でそのあたりを勝手に補強してしまったり。
もちろん演者さんのパワーもあったと思います。関町さんなんて、もう!クリヤマは一種あの異様な世界の象徴みたいな、不気味で壊れた存在だったなあと思います。同じアリを食べたりいつ殺されるか分からなかったりと恐ろしいことだらけの生活の中、クリヤマだけはトガシに支配されているようでいて、実は嬉々としてつまみ食いしたり、他のアリを暴力で脅してお話を奪ったりして、あのおかしな環境に完全に適応してしまっている、という怖さがあって、それを関町さんがまたふざけつつも軽やかに演じてしまってくれるからすごくいいなあと。ああいうキャラに凄みを持たせることにかけては関町さんは本当に揺ぎ無い。
根建さんのアマノもある意味キーファクターだったと思うのですが、根建さんは気持ちをまっすぐにお芝居にのせることが出来る人なのかなあと。ものすごくうまい!とかそういう台詞回しじゃないんですけど、何かしっかり真に迫るものがある気がします。
文田さんは見た目勝ち、且つ人に合ったキャラクター勝ちだなあと。安定・安全志向だったからこそ、平時はトガシという権力者についていて、終盤はアマノの言う「確実な方法」を選ぶ。なんだかんだで逃げた後も生き延びてるのかなーと思うと、それも文田さんに似合ってる気がする(笑)
畑中さんのシオザキは、クリヤマとは逆に環境に適応しきれずに壊れてしまったアリという印象。また本来男前のはずの畑中さんがああいうよれよれな感じで演出されているから、きっと地上ではモテモテだし何不自由なく生きてたんだろうなあという想像もさせられて、なんとも何とも言えない閉塞感をシオザキには感じました。そういう意味では本当に適任というか、奇妙な動きや仕草も畑中さんならではなのかな、という風にも見えたかも。なかなかずしっとくるものがありました。


あとは、台詞もところどころでぐっとくるものも多くて、「俺はお前が思っているよりずっとややこしい生き物だ」とか、これ聞いたときにはアリジゴクのパーソナリティの深みみたいなものが一気に感じられておお!っとなりました。あと、サトウの最後の「どこへ行きたい?」という台詞に、サイボーグ009のジェットの台詞「どこに落ちたい?」を思い出したのですが、友人に話したら同じことを思ったと言っていたので、きっと他にもいると信じたい(笑)009のあそこのシーンも大好きです。
演出も本当に一貫して素敵でした。重くてかつメランコリーな雰囲気で、見てていいなあとずっと思ってました。ほとんど薄暗い中で展開していくお芝居だったので、空の映像が映し出されるとそれがものすごく鮮烈で、うわーとなります。
ストーリーそのものは重くて暗めだったのですが、特に前半にはいろいろと笑いやノリが足されてました。公演期間の最初の方はボケも少なくてストーリーそのものをすっきり演じられていたそうで、私は後半のわりと色々やりたい放題やってるのを見てたので、内容が内容だけにボケ少な目の公演も見てみたかったかなーと。欲張りな話ですが。


書きすぎた!完全に書きすぎました。読んでいただいた方には申し訳ない気持ちでいっぱいです。
こんな感じで自分の中でいろんな思いをめぐらせつつ見ていたのでした。自分でもちょっと視点おかしいなーと思いました。すみません。
そのくらいの強い興味でもって見た公演だった、という言い訳です。いつにも増して気持ち悪くてごめんなさい。こんな風にあの芝居を見てた奴もいましたよ、という程度のものとして見ていただけるとありがたいです。