箱雑記ブログ

色々まとめています

言葉をさがす。

ほぼ日刊イトイ新聞」の「今日のダーリン」(12/21付)に、NODA・MAP『ロープ』に関する文章が。
その中に、

観客の生理的な部分にまで届かせることに
ひとつの大きな狙いがあるのだろうと思った。

という一文を見つけて、あ、これだ、と思ったのです。
自分の中で、上手く言葉で表せないものについて、この感じはなんだろうなあと思って必死で言葉を探しているのに見つからず、もやもやすることが本当によくあるのですが、『ロープ』については、この一文を見てすごくしっくりきた。
「生理的な部分」まさにそういう感じ。頭とか感情とかでなくて、無意識に、否応なしに体に震えが走るような衝撃。
やっぱり、言葉を扱うプロの方は凄い。
私のような人間がどういう風に伝えたらいいか分からずにじたばたしているものを、こんなにも的確にすっきりさせてくれた。
野田秀樹という人は、あの人が描く芝居とそこに内包されるものについて、生半可な感情などに対して訴えるのでは生ぬるいと思っているのかもしれない。そんな上っ面じゃなくて、もっと根っこの部分を揺るがす必要があると考えているのかもしれない。
そんなことを、この一文を見て改めて感じたのでした。

私は理屈家なので、自分の考えたことや感じたことを、もやっとした印象ではなくて、形の見える言葉にして残したいと思うが故に、感じたことについてだらだらと文章を書くことが多いです。
ライブの感想などはまさにその作業の最たるもので、見たことによって受けた感動とか感激とか衝撃とか、その他自分が感じた様々なものに、はっきりとした形の言葉を当てはめることに年中無休で必死です。
だから感想は長くなるし、やたらと女々しかったりします。完全に主観に偏ってしまうのも、自分が納得するための作業だからだろうなあ。
こういう作業はなかなか上手くいかず、時間もかかるし書きあがってみればちょっと恥ずかしいようなことにもなってる(笑)
でも世の中には、こういう作業を本当に上手に、しかも的確にはっきりと、成し遂げることが出来る人がたくさんいて、そういうのを目の当たりにするたびに、すごいすごいと思います。
きっと、頭や心のキャパシティが広大なのだろうなあ。素敵だ。

ちょっと話はそれるけど、物を作る人って、年を経るごとにストレートに何かを伝えるようになる傾向があるのかな。
それがどんな方向に転がるかはその人次第なのだろうけど、野田秀樹という人については、私は全然大丈夫でした。あの才がたったひとつの方向に向かって一気に噴出するパワーといったら、並大抵のことではないです。
あと、野田芝居を見に行くと必ず、戯曲を読みたくなります。だから、戯曲が売られている場合は否応無しに購入してしまう。

結局何が書きたかったのか分からなくなってしまった・・・。
要するに、言葉を扱うプロの方々の凄みったら!という感動を述べたかっただけなのですが。