箱雑記ブログ

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神保町花月『8848』

3日目を見てきました。今更ですが感想を書いてみました。ネタバレしてますのでご注意ください。
あんまり赤裸々に書くのもどうかと思ったのですが、たまにはいいか、ということで、ちょっとばかり恥ずかしい感じになってますのでそれもご了承ください。



最初に困った前提を。
かつての重度のチャイルドマシーンファンであるという自分の特性上、あらすじを見るだけでいらない先入観を持って見てしまいそうな気分だったため、極力フラットな気持ちを心がけて見に行きました。
無理にうがった見方をしなければ、そこにチャイマの影を見出すにはコンビの状況やキャラクターや関係性についてはそれほど共通点はない気がしました。「解散して一人はピン芸人に」という部分くらいかな。むしろ違いすぎる点がたくさんある。逆に重ねるまいと意識して私が見ていたということもあるかもしれませんが。
だから、一番冒頭の、ふじやま解散のシーンでバカみたいに涙が止まらなかったのは、特定のコンビがどうこうというのでなく、「解散」という事象そのものに対する私の気持ちの暴走なんだろう、ということにします。


見ていてなんとなく思ったのは、「8848」に出てきた元ふじやまのあの二人は、このお話を作った人の理想のコンビ像なのかもなあ、ということ。特定の誰かへ向けられたメッセージというよりは、理想のコンビを描く自問自答のようなものを感じた気がします。これも私の勝手な印象に過ぎませんが。
解散してもお互いの存在が心の中にあって、芸人を辞めた側もお笑いを作ることへの情熱を忘れられず、芸人を続ける側も元相方との約束を胸に日本一を目指して、彼らの関係性は離れても途切れることなく最終的に再結成という着地点を生み出す、というのは、ある意味とても理想的に思えてしょうがないのです。
たとえば芸人ではないけれど、マーさん扮する若頭と羽生さん扮するバーのママの関係性も、お互い別々の道を歩みつつもきちんと信頼しあっているという点で、理想的なコンビ、と言えなくもない。というのはさすがに深読みしすぎだとは思いますが。それを言ったら一番理想的なのはママと刑事のコンビか(笑)最終的に天下取っちゃったし(笑)
そういう、コンビのいろんな理想が詰まったお話だったのかな、というのが身勝手な私の解釈です。
お話としては、解散して突然ヤクザになろうとするあたりはあまりピンとこなかったりもしたのですが、それとは別に、樅野さんだからこそ書ける台詞だと思えるものも多々あって、かつてのチャイマファンとしてはいろんな意味で揺さぶられるところがあったりもしました。
個人的にとても印象に残っているのが、「お前ら解散したことあるのか」「解散した奴の気持ちが分かるのか」というところ。解散した芸人さんの気持ちは、解散したことのある芸人さんにしか分からない、というごく当たり前のことに、はっとなったのでした。何を聞こうが言おうが、当人にしか持ち得ない感慨や後悔はあるに違いないんですね。


そもそも、チャイマがどうのというのを取っ払って見るのが一番すっきりできる見方なんだろうなあ。余計なものを背負いまくって見てしまったので、それはちょっともったいないし申し訳ないなあと思ったものです。
ただ、こうして3年くらい経つにも関わらず、こんな場において未だに生々しく思い出されてしまうチャイルドマシーンというコンビって何なんだろうな、というのも、思ったり思わなかったり。
芝居の中に「2年もすればふじやまを覚えている客なんていなくなる」*1というような台詞がありましたが、それはある意味ものすごく事実を述べていて、同時にそうとも限らないというのを自分を振り返って実感したりしました。


印象的だったのは、タケトさんの熱演と、関町さんのどうにも記憶に残らざるを得ない奇妙な愛されキャラぶりと、栗山さんの味のある立ち位置。
そして何よりも、Vシネなノリで渋く決めつつ物語の大事な点をしっかり背負って見せてくれた井上マーさんなのでした。神保町花月で、マーさんを3つの芝居で見ましたけれど、どれも全然違うキャラクターなのに、どれも説得力が凄い。

*1:1年じゃなくて2年だった、ような気がするので修正。